もしも世界から鏡がなくなったら?自分の顔を直接確認できない世界を考えてみる
朝、顔を洗ったあとに鏡を見る。
外出前に髪型を確認する。
店の窓に映った自分を、歩きながら一瞬だけ見る。
鏡は普段あまり意識されませんが、実は生活のあちこちに存在しています。
では、もしも世界から鏡がなくなったらどうなるのでしょうか。
今回は、鏡だけでなく、ガラス、水面、金属など「自分の姿が映るもの」も存在しない世界を想像してみます。
科学的な未来予測ではなく、頭をやわらかくするための暇つぶしです。
自分の顔を自分だけが知らない世界
鏡のない世界で最も不思議なのは、自分の顔を直接見られないことです。
家族や友人の顔は毎日見られるのに、自分がどんな顔をしているのかは他人から説明してもらうしかありません。
「目が優しそう」
「今日は少し眠そう」
「笑うと印象が変わる」
そんな言葉を聞きながら、頭の中に自分の顔を作ることになります。
しかし、その想像が本当の顔と似ているかどうかは確認できません。
自分の顔を一番よく知っているのが、自分ではなく周囲の人になる。これはなかなか奇妙な世界です。
身だしなみは他人に確認してもらう

鏡がなければ、髪型や服装の確認も一人では難しくなります。
出かける前には、家族や友人に「変なところはない?」と聞くことが当たり前になるかもしれません。
一人暮らしなら、髪を手で触って形を確認したり、服のずれを感覚で直したりする必要があります。
町には、身だしなみを口頭で教えてくれる店ができる可能性もあります。
「右側の髪が少し跳ねています」
「襟が内側に入っています」
「全体的には問題ありません」
鏡の代わりに、正直に教えてくれる人の価値が高くなりそうです。
ただし、細かいことを気にしすぎる人へ「完璧です」と言って安心させるサービスも必要になるかもしれません。
美容室では完成形が分からない
鏡のない美容室では、髪を切っている途中も、完成した髪型も自分では確認できません。
客は美容師へ希望を伝え、あとは任せるしかありません。
「少し短くしてください」と頼んだのに、本人が想像していた「少し」と美容師が考えた「少し」が違っていても、その場では分かりません。
それでも周囲から好評なら成功です。
反対に、本人は満足していても、実際の状態を自分だけが知らないということもあります。
鏡のない世界では、髪型そのものより、誰に任せるかが今以上に重要になりそうです。
写真があっても自分の姿は見られない
鏡がなくても写真があれば自分の顔を確認できるのでは、と思うかもしれません。
そこで今回は、写真や映像に写った自分の姿も本人には見えない、という設定を追加してみましょう。
他人は写真を見られますが、本人が見ると自分の部分だけが空白になります。
集合写真では、自分が立っていた場所だけ背景が見える。
証明写真には、自分だけ何も写っていない。
この世界では、写真は自分を確認する道具ではなく、他人が自分を覚えておくための物になります。
自分の見た目は、最後まで他人の記憶の中にしか存在しません。
見た目を気にしなくなるのか

自分の顔が見えなければ、外見を気にする人は減るのでしょうか。
必ずしも、そうとは限りません。
自分で確認できないからこそ、他人の反応が気になる人もいそうです。
誰かが少し笑っただけで、「自分の髪型がおかしいのでは」と不安になるかもしれません。
逆に、どう頑張っても自分では確認できないため、「考えても仕方がない」と気にしなくなる人もいるでしょう。
同じ世界でも、他人の言葉を頼りにする人と、自分の感覚だけで決める人に分かれそうです。
自画像は完全な想像で描く
鏡のない世界で自画像を描くとしたら、どのような絵になるでしょうか。
輪郭や髪型は、手で触ればある程度分かります。
目や鼻の位置も、自分の指で確認できます。
しかし、それらが他人からどのように見えているかは分かりません。
そのため自画像は、見たままを描くものではなく、「自分はこんな人間だと思う」という内面の絵になるかもしれません。
明るい気分なら大きな目で描き、疲れている日は輪郭をぼんやりさせる。
顔の正確さよりも、その人が自分をどう考えているかが絵に表れます。
自画像を見るだけで、描いた人の性格や気分を想像できそうです。
鏡の代わりになる仕事が生まれる
鏡のない世界では、他人の外見を正確に言葉で伝える仕事が生まれるかもしれません。
たとえば「外見説明士」です。
依頼を受けた人の顔を観察し、分かりやすい言葉で伝えます。
ただし、「鼻が大きい」「目が細い」と特徴だけを並べても、本人が傷つく可能性があります。
正確さと伝え方の両方が必要です。
似顔絵を描く人も重要になりますが、その絵が似ているかどうかを本人は判断できません。結局、周囲の人が「似ている」と認めて初めて完成です。
鏡のない世界では、自分の姿を知るために他人を信用する必要があります。
他人の評価から自由になる方法
周囲の言葉が唯一の手がかりになると、うれしい評価も悪意のある評価も区別しにくくなります。
そこで、自分の見た目について必要以上に聞かない人も出てくるでしょう。
服は着心地で選ぶ。
髪型は手入れのしやすさで選ぶ。
自分の表情は、顔の形ではなく、そのときの気持ちで判断する。
「どう見えているか」よりも「どう過ごしやすいか」を基準にするわけです。
鏡がない世界は不便ですが、自分の姿を何度も確認する時間からは解放されるのかもしれません。
あなたなら自分の顔を知りたい?

ここで考えたいのが、もし一度だけ自分の顔を見られるとしたら、その機会を使うかどうかです。
一度見れば、その顔がずっと気になるかもしれません。
見なければ、自分の中にある想像の顔を守れます。
さらに、その一回を現在使うのか、もっと年齢を重ねてから使うのかという選択もあります。
今の自分を見たい人もいれば、最後まで見なくても困らないと考える人もいるでしょう。
正解はありません。
友達と話すなら、「自分の顔を一度だけ見られる権利」と「一生見られない代わりに誰からも外見を悪く言われない権利」のどちらを選ぶか、という二択にしても楽しめます。
鏡がある現在でも自分のすべては見えない
現実には鏡があるので、自分の顔や服装をいつでも確認できます。
それでも、他人と話しているときの自然な表情や、何かに集中しているときの姿まで、すべて自分で見ることはできません。
鏡に映る自分は、自分について知ることができる一部分です。
反対に、鏡では分からない自分を周囲の人が知っていることもあります。
鏡のない世界を考えてみると、「自分で見る自分」と「他人から見える自分」は、もともと少し違うものなのかもしれません。
こうした「もしも」の想像が好きなら、ケンズワープのもしも常人の3倍の脚力があったらという思考実験も、かなりぶっ飛んだ世界を楽しめます。
ほかの一人遊びを探したいときは、陰キャのための暇つぶしアイデアまとめや、サイト内の「もしもシリーズ」を探せるケンズワープポータル②もどうぞ。
まとめ
もしも世界から鏡がなくなったら、自分の外見を知るために、他人の言葉を頼ることになります。
身だしなみを整えるのは難しくなり、美容室では完成形を確認できず、自画像は想像で描くことになるでしょう。
その一方で、見た目を何度も確認する習慣から離れ、着心地や過ごしやすさを優先する人も増えるかもしれません。
自分の顔を一度も見たことがない世界で、あなたは他人へ感想を聞き続けますか。
それとも、「まあ見えないなら仕方ない」と、そのまま出かけますか。



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